R520 >>鬼神

鬼神

「鬼神」という思想、鬼と神というのも中国から輸入された概念であり、鬼というのは地下の大地を守る神であり、また神は天上の霊魂を支配するという分業が神界にできており、それを日本人が大地の神を大国主命とし、そして天上の大王の神を太陽・天照大神にしたが為に、そこから民衆の世界に近いものとして大国主命がいろいろな形象であらわれる。大地の精霊であったものがいろんな形象に変化していき、中世になる過程に鬼になり、されども、「源氏物語」のころは鬼とは人間の霊魂であり怨霊と呼ばれ、物の怪とも呼び、形は不明なれどあいまいに鬼と呼ばれながら、中世にはヨーロッパにもある鵺(ぬえ)という奇怪な羽根のある怪獣として表れ、それがトラの皮のふんどしをして、角を持っている力士姿のよく知られたあの姿、形が完成するのは戦国期である。狂言の鬼などは近世の鬼に近く「鬼は外、福は内」と豆をまかれて逃げるユーモアのある像が出てくる、すでに隠れ蓑、打ち出の小槌などの呪具を持っており、だがしかし、能などの鬼はそれより古く、中世の『源氏物語』の伝統を踏んでいる。最終的には、戦国期に鬼の姿は完成したといえる。

中国の鬼と日本の鬼を比べて見れば、「魑魅魍魎」(ちみもうりょう)の言葉を見てもわかるように、魑魅魍魎はすだまであり、化け物である等、その文字の1つ1つの言葉がちがった1つ1つの意味を持ちつつ、魑魅魍魎というひとかたまりの言葉がそれ自体一つの意味を持つという類の言葉の構造を持っている。いわゆる中国の鬼と日本の鬼とでは多分に違いがあり、魑魅魍魎の字を見ても鬼に離れると書いても魑「チ」であり、鬼に宝を持たせても鬼偏に宝と書いて「チ」と呼び、鬼に失うと書いても鬼偏に失うで、「チ」と呼ぶ。中国人は魑魅魍魎の魑(チ)に対して様々な面から見ており、すくなくとも言葉自体が逆な意味を持つほどの多くのものを見ている。鬼に関連させつつ様々なイメージを持っていたのである。日本人は『斎明記』の記述に出てくるような、「もがりをのぞき見ている山上の鬼」以来、鬼というものを中心にしながら、土地の精霊である「鬼」に集約されるような、しきりに1つのイメージの「魑(チ)なる物」を考えようとしている歴史が見て取れよう。 中国の鬼とは天の思想のような物にかかわり、日本の鬼とは地の思想(土地の精霊)のような物にかかわるものであると言える。(wikipedia参照)